Wafty’s diary

情熱は止まらない 私達は進み続ける

さよなら2011年

残り約7時間で日本は年越しを迎えます。


あなたは2011年に何を見つけましたか?

そして何を思いましたか?

何を感じましたか?

何を得ましたか?


僕にとって2011年は、一言で言うと………激動の年でした。
今年は本当に何もかもが激動の一年でした。
これほどまで日本が揺れ動いた年は今まで見た事がありません。
本当に大切なものとは何か。そんな事を強く教えてくれた一年でした。
 
 
 
 
3月11日のあの日…
私達は未だかつて経験した事の無い未曾有の大災害を目の前にしました。
M9.0という予想を遥かに超えた規模の大地震が東日本一体を襲いました。
直ぐにメディアは地震関連の情報に染まったのを今でもはっきり覚えています。
そして、ふと次の言葉が頭を過りました。
 
津波が…とんでもない大きさの…津波が……来るんじゃ…」
 
その言葉を口にした瞬間、大津波警報が発令されました。
あの時は何もかもが混乱していました…何もかもが…でも報道機関があまりにも静かだった記憶があります。
冷静で静かすぎる…あの状況が本当に不気味でした…まるで津波が起きていないかのように見えたからです。
 
そして1時間半後、名取の映像を見た瞬間…自分は言葉を失いました。
キャスターの声も無い、轟音の音も無い、ただヘリコプターの音だけが聞こえる映像…
その映像には真っ黒に染まった津波が家を…車を…全てを…呑み込んでいる様子が映し出されていました。
そして目の前で人が明らかに消えていったのです。必死に逃げていた人を一瞬にして津波は呑み込みました。
誰もがその映像を見た時、言葉を失っていました。
あまりにも酷く…悲惨で…現実として受け入れられませんでした…でも、悪夢はこれだけでは無かったのです…
 
時間が経つにつれて、地獄絵図と化した街の様子が次々と入ってくるのです。
そして、その頃になって初めて東日本一体が大混乱になっている事を知るのです。
直ぐに東京にいる友人の安否を確認し、ブロ友の方の安否も確認して一安心…かと思ったのも束の間でした。
夜になってまた新たな脅威が発生するのです。帰宅困難者には特に異様な印象を持ったのを覚えています。
品川駅前の道路一体が全く動いていないのです。その中に救急車も立ち往生していました。
それどころか車が通るはずの道路を人が沢山歩いているのです。この異様な風景に危機感を感じていました。
これがもし、首都直下だったらどうなっているんだ…と。
そして、東北沿岸では大津波が去った後…新たに地獄絵図が発生していました。
海が燃えている…船舶などから漏れ出た燃料が原因で海が燃えている様に見えたのです。
もしこの燃える火の中に生きている人達がいたと思うと…本当に…悲惨でした。
 
そして、翌日になって事態は追い打ちをかけるように悪化。
福島第一原発が政府の発表よりも遥かに深刻だという事が明らかになってきます。
混乱を極めた原発内で作業していた人達は、外の様子も把握しきれないまま必死に作業をしていたはずです…
想定されていない全電源喪失。その中でも作業員の方達は決死の覚悟で被害を抑えようとしていました。
しかし…時間は…待ってくれませんでした。
本震発生から約一日後、福島第一原発は水素爆発を起こします。
そして更に立て続けに爆発が発生。この時になって、手に負えない状況だという事が鮮明になりました。
一気に放射能は大気中に拡散され、原発から半径30km以内の住人は避難対象という結果になりました。
メルトダウンという最悪の状況が分からなかったあの時…とにかく情報が欲しかった…正確な情報が…
今になってあの時の事故が如何に悲惨だったかが分かってきました。福島第一原発から放出された
セシウム137総量は6月時点で、広島原爆の約168個分であったと言われています。
今回の事故は人災と言わざるを得ないのか…しかし、想定が甘かったのは事実でした…これだけは確かです。
この事故は私達に原発という存在を改めて考えさせられました。
今まで私達が如何に原発に対する知識、備えが不十分だったことを浮き彫りにさせた今回の事故は…
日本人に突き付けられた新たな課題だと思いました。
 
 
あの震災から9ヵ月。
被災地は、やっと瓦礫が少し取り除けたか取り除けてないかの状況です。
十分な復旧がなされないまま今も仮設住宅には多くの方が住み、日本はまた冬を迎えました。
 
 
…震災が発生してから時間の感覚がおかしくなったのは…自分だけなのでしょうか。
まるであの震災が発生してから時が止まっている様な感覚に時々なるのです。
 
確かに今年は、ぽぽぽぽ~んがあって…
ビンラディン殺害があって…
ノルウェー連続テロがあって…
タイの大洪水があって…
ウォール街のデモがあって…
ギリシヤ発のユーロ危機があって…
芦田愛菜のゴリ押しがあって…
金正日死去があった…
でも、季節は変わっても被災地の様子を見る度に時間だけが止まっている……そんな気がしました。
 
この一年、自分にとっても激動の一年でしたが、日本も十分すぎるほど揺れ動いた年でした。
 
 
 
 
そして、この2011年という年は本当に大切なものとは何か教えてくれた年でもありました。
そして、幸せの意味がやっと分かった年でした…
 
 
 
……皆と笑い合える……
それだけで幸せなんです……
 

 
また来年もこうやって記事を書く事が出来たら…どんなに幸せな事なんだろう…
 




あなたはどうだろう?どんな一年だっただろうか?

 



今回が今年最後の記事になります。




最後に、2011年を生きた全ての人々へ……




「お疲れ様。そして、ありがとう。」















さようなら

2011年。