Wafty’s diary

情熱は止まらない 私達は進み続ける

京急線「人身事故」の決定的瞬間 衝撃動画の公開是非巡りネットで賛否

京急線「人身事故」の決定的瞬間 衝撃動画の公開是非巡りネットで賛否

J-CASTニュース J-CASTニュース 2014年05月28日18時47分

首都圏で電車通勤をしていれば、「人身事故」の影響を受けることも少なくない。
目撃すればトラウマになってしまう場合もある。
そんな事故の決定的瞬間をとらえた動画が動画投稿サイト「YouTube」にアップされ、
インターネット上で議論を呼んでいる。

イメージ 1
男性との接触後。電車の窓には大きなヒビが入った(画像はYouTubeスクリーンショット


2014年5月26日に年齢制限付きで投稿されたもので、
説明文には京急本線横浜駅で25日16時35分ごろに起きた人身事故の様子だと書かれている。

窓ガラスが一変、大きなヒビが入り…

動画は先頭車両の運転席背後から撮影されたものとみられ、序盤は線路を走る単調な風景が続く。
途中で入るアナウンスなどから、説明文にあるとおり、
横浜駅に向かっている快速特急京急線であることが分かる。

運転席の後ろから撮影した動画はYouTube上でも珍しくはないが、ホームに入った後に異変が起きる。キャップをかぶった男性が黄色い線の外へ歩き出し、飛び込むような態勢をとったまま電車に接触したのだ。その瞬間に前面ガラスが割れて大きなヒビが入り、電車に乗っていた女性の「キャー」と叫ぶ声が聞こえる。運転士が警笛を鳴らしてからわずか1~2秒の出来事で、ホームの混雑状況などからみても、意図的に接触したものとみられる。

電車が完全に停止すると、運転士が「駅への進入時にお客様と接触いたしました。現在安全の確認を行っております。ドアが開きますまで今しばらくお待ちください」と車内アナウンスを行い、
まもなく動画は終了した。なお、接触した電車は回送となり、振替輸送などの対応がとられた後、
18時には平常通りの運転になったという。事故についての報道はなく、その後の詳細は分からない。


「抑止につながる貴重な資料」「公開すべきでは無い」

グロテスクな映像ではないものの、衝撃的な瞬間が映されているとあって、
再生回数は28日10時半の段階で約10万回、18時半時点で15万回以上と、急速な伸びをみせている。コメント欄やSNSにもさまざまな意見が寄せられている。


その中で、動画をアップロードしたことが賛否を呼んでいる。賛成派からは、

「こうなる事・末路の恐怖は半端ない。これでも列車に飛び込みたいですか?」
「警鐘を鳴らす意味でもこの動画は削除しないでそのままにしておいて下さい」
「これを見て鉄道自殺を考えてる人は思い止まってほしい」

などと、動画の恐ろしさが自殺を考えている人を抑止するとして、
「貴重な資料」を公開した投稿者を評価している。



だがその一方で、男性の家族を傷つけてしまう可能性があることなどから、

「そもそもこれは公開すべきでは無い動画」
「鉄道ファンが撮ったの?こんな動画、公開するものじゃないよ」
「自殺はいけないが、遺族もいるだろうから
 軽々にこういった動画をアップするのはどうかと思うね」
「人身事故の動画あげて何がいいの?自分の大切な人が死んだ瞬間の
 動画をうpして拡散されたら怒るだろ」

などと、投稿者を不謹慎だとして批判する声も相次いでいる。

なお、テレビでは事故現場で偶然とらえられた衝撃映像が紹介されることもしばしばあるが、
メディアの多くが「自殺の詳しい方法は報道しない」という自主規制を設けているため、
今回のような動画は紹介されない可能性が高い。



ちなみに、この動画は運転席内に取り付けられた「車載カメラ」で撮影されたものではないかとの
見方もでているが、運転席の後部ガラスが反射していることや、客席の声がよく入っていること、
停車後にカメラが動くことなどからも、乗客が撮ったものとみられる。投稿者のYouTubeアカウントは
この動画以前に投稿の形跡がなく、どういう意図で公開したのかは不明だ。





はい、というわけで衝撃的な内容の動画が公開されネット上では様々な論争が起きています。
大変痛ましく、辛い内容ですが、とても大事な問題と思い今回、この内容を取り上げさせていただきました。

肯定・否定 両論あると思います。あって当然だと思います。
列車への飛び込みという行為がどれほど危険な行為か警鐘を促す意味でも、
この動画公開には敬意を表させていただきます。撥ねられた方がホームの他の方に当たったり、
急停車により車内の乗客が転倒するなどの二次被害
また、仮に運転士の方が負傷するなどして列車制御不能になった場合、
更なる重大事故に繋がらないとも限りません。
どんな事情があったにせよ、許容される行為ではありません。

この一連の論争から私達は、今一度考え直さなければならない事が多くあると思います。