Wafty’s diary

情熱は止まらない 私達は進み続ける

次世代より

前回の記事投稿から、また1年以上が過ぎた。

なんというか

何なんだろう。


一体、何を言ったら良いのだろう。






時間を失い続ける日々。
答えはどこにもないのに探している。

寂しい。苦しい。繰り返しの日々。
23時に帰り、また7時に出る。
休日も消えていく。日常は消えた。

これが日常なのか?
失い続けるのが日常なのか?


『私は誰に問いを投げているんだ』











世間は想像以上に移り変わっている。




2015年夏に買いかえたスマホ、カバーがボロボロになったので先日新調しようと携帯屋に寄った。

「申し訳ありません、その型式のスマホカバーはもう無いんです」


絶句した。

スマホカバーが無いことに絶句したのではない。知らない間に、世間の流れるスピードがそんなにも早くなっていたことに絶句したのである。なお、この型式のスマホカバーは家電量販店にひっそりと在庫があったので無事新調できた。





なんというか。

「1年なんて、あっという間ですね」としか言えない。



社会に出て2年と9ヵ月。
思うことは山のようにある。残念ながらネガティブが先行してしまうような話ばかりである。

当たり前である。

時間を極限まで失い続けた人間が、どうして笑顔になれるというのか。



今の私には全く分からない。








寂しい。私は寂しい。
いつだって1人取り残される。

人を信じられなくなる。
信じたいのに、信じられなくなることがあまりにも多すぎて。


私は、どうしてこうなったんだろう。
私は、どうすればよかったんだろう。










何をしても否定されるなら、命が行き着く先は1つしかないだろう。



それが分からない人は、強く自覚してほしい。本当に反省してほしい。







今の若者はたるんでる、とかいう話を聞くたびに強い怒りに満ちてくる。

でなければ、いまお前の目の前にある夜景のビルは何だ?


いい加減にしてほしい。





日本死ねが流行語になった時は本当に国全体の崩壊が始まったと思った。国、国民、社会が自ら首を絞めて崩壊を開始していく様は70年前と何ら変わりはない。


私は最大限の軽蔑の目で、この国を見続けている。どんなに綺麗に見せようと、どんなに凄く見せようとしても、だ。


そんな国なのが寂しい。
そんな風に思う私も寂しい。


寂しい。寂しい。寂しい。







「もういい、今はゆっくり休んでくれ」







その一言だけでいいのに。









西暦2016年、12月。
かつて21世紀は未来、2015なんて未来の年代だと思っていたあの頃。

どうですか?
日本の未来はWow Wowですか?
世界がうらやむYeah Yeahですか?




「「「あなたはどうですか?」」」






これが次世代です。














またゆっくり出来たら記事書きますね。。。