其の弐拾漆
『ありがとう イタリア』
8月20日(朝食○ 昼食自由 夕食自由)
8:30 :ミラノ市内観光と『最後の晩餐』鑑賞またはブレラ美術館見学
●ドゥオモ、ビットリオ・エマヌエレ2世ガレリア、スフォルツェスコ城の中庭、スカラ座など
おしゃれな街ミラノの見どころをめぐる
●サンタ・マリア・デレ・グラッツィエ教会にてレオナウド・ダ・ヴィンチの傑作『最後の晩餐』を鑑賞(入場/約15分)
または、15~18世紀の作品が充実したイタリアを代表するブレラ美術館(入場/約1時間)を見学
16:00 :自由行動
●観光後、市内にて解散 (ミラノ 泊)【ベストウエスタン・ガッレス】
ドゥオモがくれた不思議な体験。
それは今回の旅のフィナーレとなった。そして、偶然と想像が交差する世界も悪くは無いと思った。
偶然と必然だけがこの世界なら…それを超える想像は、無限の可能性を秘めているのかもしれない…
日が沈む。イタリアで見る最後の夕日だ。
今回の旅で見つけたものは一体、何だろう。
今回の旅で得たものは一体、何だろう。
もうすぐこの旅も終わる。
でも、ただ終わるだけじゃない。終わると言う事は、また新しい始まりがあるということだ。
出会いあれば別れあり。命あっての事だと改めて実感する。
今まで見てきた事は全て時間が造り出した芸術の塊だった……時を超えて現代の私達に伝えていた。
それは人が生きていたという確かな証拠であり、証。
それが自分の存在が誕生する何百年も昔に創られたものと知った時、私は不思議な感覚になった。
目の前に確かにモノは実在する。でも、そのモノを創った人は既に物語の中の人となってしまっている。
別にあの世があるか無いかなんて、とても分からない。死んだら無になる…ただそれだけの事かもしれない。
…自分や、他の人も今を生きる世界中の人も何十年後には誰一人生きてはいない…
当然の事だが、そう考えると本当に今回の旅が不思議なものに思えた。
今回の旅ですれ違った人々も…何十年後にはもう誰もいない。あの青年も…そして自分もいなくなる。
でも、誰か有名な人が亡くなったとしても世界は変わらないように、
例え自分が消えたとしても特に世界が変わるわけではない。代わりの人は幾らでも居るだろう。
東京で何十人の人が事件で亡くなって日本中が驚く。
ニューヨークで何百人の人がテロで亡くなって世界中が驚く。
でも、アフリカで何千人の人が飢餓で亡くなっても世界は全く驚かない…
そんな見過ごされる命は数え切れないほど存在する。今も一秒一秒世界中の誰かが亡くなっている。
でも同時に、多くの命が誕生している。そして、また新しい世界が新しい人々によって受け継がれていく。
そんな人々の歴史の狭間で生まれた私達が今こうして出会えて、こうして旅が出来るのはまさに奇跡だ。
そして世界の大きさを改めて実感出来た。それは先代の人が伝えてくれたメッセージも混じっている。
今回の旅で見つけたものは一言では言いにくい。
でも、偶然と必然の中で見つけたメッセージは、かけがえのないものだった。
見た事のない世界が自分が旅へと誘ってくれるように、見た事のない世界が今回、自分を成長させてくれた。
色んな事を知り、忘れかけていた感情を思いだし、そして…希望を再び自分に与えてくれた。
ありがとう、イタリア。
来て良かったよ…本当に…
次回、最終回。
其の弐拾捌へ。
さあ帰ろう、日本へ