異性と(特に、女性が男性と)付き合うために使われるテクニックである。
歴史的背景
人は誰しも幼いとき、両親を見ながら
「自分も大人になったら結婚して子供ができるんだろうなぁ」と考えるものである。
しかし配偶者が自動的に決定するということは、政略などが絡む一部の階級社会を除けば極めて稀であり、
大抵は自らが努力して異性の気を惹かねばならない。
しかし、選択肢の中から正解を選んでいく従来のギャルゲーやエロゲ、乙女ゲーではそのような概念を扱えず、また今日に至っても未だに次元の壁を越えることに成功していない。
ゆえに、ますます「三次元を捨てて二次元に走る」という「誤った結論」に陥ることが後を絶えなかった。
このため、それまで無頓着であった現実の男女間の駆け引きについて、
しっかりとした基盤の上に再構成しようという試みがなされ、結果として生まれたのがε-δ論法である。
教育の現場では「高等学校でこれを教えるべきだ」という声が上がる一方で、
極めて難解であることを理由に大学教育のごく一部でのみ指導されているのが現状である。
事実として、「高校時代に他教科より点数がよかったので数学科に進みました^^」程度の考えしか
持っていない学生にとっては、大学生活の初っ端からドン底に叩き落としてくる存在として恐れられている。
論法の解説
収束 ~限りなくお近づきに~
まずは物理的な接近として、
対象に何かと世話を焼くことから始める。
これらを繰り返し、ラブラブな状態へと持って行く。
「毎朝起こしに行く」、
「昼食に弁当を作ってあげる」などである。
ただし、あまり好意を押しつけると対象に重荷を抱かせる
ことになるので、この段階では「遊び」を設ける。
具体的には、「べ、別にあなたのためにやってるんじゃないんだからねっ!私が“好き”でやってるんだから…」などの
台詞を添える。この遊びが重要で、対象の心の揺れ幅が
いかようであっても、必ずそれに応じたリアクションを返してやることがストライクゾーンを打ち抜く秘訣であり、
これを繰り返すことでドタバタラブコメディは
やがて二人だけのラブシーンへと収束していくのである。
上図は 【ツンデルタ】 である
以上を定式化すると以下のようになる。
対象aに近づいて状態 bになるには、対象の心の揺れ幅をε、
自身の遊び(素直じゃない気持ち)をδとするとき、
発散 ~愛のradiation~
二人の間に愛が芽生えたら、次はそれを発展させていく。この段階でやることは、実はそれほど難しくない。
周囲の目を気にして自重することなく、例えば以下のような会話を白昼堂々とやってみる。
「ねぇ、私のこと好き?」
「好きだよ」
「私はもっと好き!」
「じゃあ僕はもっともっと好き!!」
こうして自分たちの幸せっぷりを盛大にアピールしていくのである。
さて、きっと多くの人たちが二人を祝福していることであろうが、中には疎ましく思い、邪魔をしてくる者もあろう。
他にも、様々な困難が待ち受けているはずだ。しかし恐れることは無い。二人ならばきっと乗り越えられる。
そもそも、立ちはだかる障害は大きければ大きいほど二人の仲も燃え上がり、
もはや誰にも止められなくなるのだから。
以上をまとめる。
幸せアピールをn回行った時点における二人の愛をanとする。
愛が限りないとは、障害Kがどんなに大きくても、幸せアピールがある回数n0より
多ければ、その障害を跳ね除けられること、すなわち
ここでは先ほどと違いKとn0を用いており、K-n0論法と言うべきかもしれないが、
ε-δ論法と本質としては何も変わらない。便宜的に、式に使用する文字を置き換えただけである。
ただし、二人の愛は何物にも換えられない。恋愛は、ある一点を突破すると止まることを知らなくなる。
が、無限は夢幻。消えるときは一瞬なのも事実である。あっけない破局を防ぐため、次の段階へと進む。
連続 ~永遠(とわ)に~
二人の仲を途切れることなく続けていくために、ここからは「繋がり」を重視していく。
手を繋ぎ、心で繋がり、性的に繋がり、切っても切れない仲を目指す。これは存外難しい。
若いうちは盲目的に、愛は永遠だと思い込みがちであるが、
あるとき二人の間に存在するギャップに気づいてしまい、そのまま途切れてしまうことは多い。
また、一般的に愛情度は二人が付き添った時間と反比例する。反比例は例のところで不連続である。
永遠の愛を目的とするのなら、ひとたび繋がったら決して離れないくらいの心構えでなくてはならない。
この段階でとるべき具体的な行動例としては、
「対象に四六時中つきまとう」、「対象に近寄ってくる人間は即排除」、
「対象に注ぎ込む愛情は地球より重く」などがある。
相手がガードを固めるならその隙間を狙い、
小さく縮こまろうというのなら更に内側に入り込む。
この段階に限らず、ε-δ論法の根本としてあるものは、
徹底的な攻めの姿勢である。
熱心に、執拗に、一心不乱に、自分はいつでもそばにいるのだ
という恐怖心安心感を植え付けるのである。
上図は 【ヤンデルタ】 である
話を戻し、定式化する。
「自分が対象aに近づいたときの気持ち」と「対象aの気持ちf (a)」が一致したとき、二人の愛は連続となる。つまり、
が成り立つときがそうである。これは以下のように書き換えることもできる。
さて、ここまでやって「二人の気持ちが一致しない」ということがあるだろうか。
大丈夫、きっと思いは伝わる。もしも伝わっていない、相手が逆らうというのなら、いっそのこと Nice boat.
「本当のこと言うと、ε-δ論法は数学科第1の壁。数学科第2の壁はコンパクト空間。
ちなみにlogitecは数学嫌いな文系思考の理系学生。数学科じゃないよ。」 ―― ラティさん 談