4月22日午前2時27分
ジョウト本拠地 情報部資料室
夜勤を除く、ほとんどの戦闘員が寝静まっている中、彼女は一人、資料室に籠っていた。
誰も聞かない中、独り言を呟きながら、これまでの戦闘記録を見直している。
「『S-TF 2.3.1』作戦――海上の敵艦船の大部分が轟沈または大破…大戦果をあげた。
敵からの発砲は一切無く味方側の被害は無し。上空に敵の出現は確認されなかった――」
戦闘記録を一通り見終わった彼女は、最後に一言呟いた。
「――…あなた、神にでもなるつもり?」
戦闘記録を見ている最中、彼女は背中に何かの気配を感じたのだ。
後ろを振り返る。視線の先には影があるだけだった。
とてもそこに誰かが居るとは思えない程、それは影として溶け込んでいた。
男女とも判別がつかない合成された無機質な声が聞こえてくる。
「何でもかんでも神って呼べば良いみたいな風潮はそろそろ終わりにしてくれないかな。
そういう話はもう沢山。」
彼女はその影に問う。
「貴方ならこの世界の神と呼ばれる存在は簡単に否定出来るものね。」
「神なんて称号は人間が勝手に付けた飾りみたいなものだよ。彼等にはそれぞれ目的があったはずなんだ。だから行動する。その行動によって何かを変える代償に犠牲になり、その犠牲が人々の心に残れば"神"と呼ばれる。残らなければ、そのまま存在すら忘れさられてしまう。それだけの事に過ぎない。」
「よく聞く話ね。」
「そういう君も似たような事をしているじゃないか。んー果たして、これは偶然なのかなー?」
「…どうやら貴方は私を誰かと勘違いしているみたいだけど、
私は貴方が期待するような存在では無いのよ。」
「おや、それは残念。目星が付いていたんだけどね。」
「へぇー私を犯罪者にでもしたいの?」
「君には時間が無いと思うけどね。」
「それは貴方の方じゃないの?」
「誰に近付いた。」
「…何の事?」
「あんた、どうやってここに来た。」
「あなた何を言っているの?さっぱり分からないんだけど。」
「もし彼が君の事を知ったらどう思うんだろうね。」
「彼って?どうして急にその話が出るの。」
「ショックを受けるだろうな彼は。」
「…やめて。」
「空想上のキャラに恋患いとは滑稽なものだよ。」
「……ッ」
「悲しい結末しか無いというのに。」
ガタッ!!
彼女は顔を強張らせ睨みながら声を張り上げた。
「セレンは関係無い!
あの子に手を出したら絶対に許さない!!
何!? 何が狙い!? 私の死!?
ならさっさと攻撃しなさいよ!!
やれるものならやってみなさいよ!!
ほら!! ほらァッ!!!!」
影は淡々と答える。
「君らしくもない。クールなのが君の取り柄だろうに。せっかくのキャラが台無しじゃないか。」
「キャラを演じてるつもりは無い。」
「正直…私には君のキャラが分からない。」
「それは結構な事ね。けれど、何にしろ彼に手を出したら容赦しない。例え味方であろうと。」
「頼もしい彼女だね。ヤンデレとは末恐ろしい。」
「貴方に言われる筋合いは無いわ。」
「…私もヤンデレ扱いなのか。」
「冗談はその位にしといて…貴方そろそろ正体現したらどう?」
「残念ながら、それは無理だ。」
「貴方は敵?味方?」
「さぁ、私には分からない。君がどんな姿をしているのかも分からない。」
「どういうこと?」
「そのままの意味だ。」
「私はねぇ…そういう回りくどい言い方が一番嫌いなのよ。」
「回りくどく言ったつもりは無いんだけどね。気になるなら私の声がする影の方に近付くといい。
そこには何も無い。ただ影があるだけだ。君の事だ、どうせこの事も最初から知っているんだろう?」
「……」
「やはりな。君は一体どの範囲まで未来を予見できるのだろう、実に興味深い。
私が満足に行動出来れば君を縛り付けて吐かせたいくらいだ。」
「…気持ち悪い。」
「で、実際の所どこまで見えているんだ?」
「正体も分からない貴方に喋る気は全く無いわね。」
「だろうな。仮に私の正体を言った所で、君は信じないだろうし、理解もしてくれないだろう。」
「大体目星はついてるわよ。」
(…ハッ!!)
彼女はその言葉を言った直後、会話によってはめられた事に気付いた。
しかし、気付いた時にはもう遅かった。
「ほぅ…やはり知ってるんじゃないか。私の正体を。」
「…知らないって言ってるでしょう」
「君は今、一つ間違いを犯した。
私の正体を知っている…つまり、君は
私が正体を明かす時までの未来を既に
知っているという事になるんだよなァ!!」
「だから…私は知らない…」
「あっははァ!! なーんだァ!!
そこまで知ってるんだァ!!
つまらないだろう!! 退屈だろう!!」
怯えるように彼女は小さく呟く。
「…やめて……やめて…」
「未来は見えない方が楽しい!! 誰もがそう言うじゃないか!!
なら、そうしてやろう!!
今ここで私が正体を明かせば、少なくとも、本来、私が正体を明かす時までの
未来が消える事になる。
つまり、君が予見している戦争のシナリオも
消えてなくなるわけだ。
残念だなぁ、実に残念だぁ。せっかくここまで来たのに。」
「聞きたく無い…聞きたく無い!!」
彼女は耳を塞ぐ。
「耳を塞いでも叫んでも無駄なのは君が一番知ってるだろう。
私の声は君の脳内にしか聞こえないのだから。」
「誰か…誰か…!!」
耳を塞ぎ首を振りながら声が外に届くはずもない資料室の中で彼女は助けを求めた。
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誰かに助けを求めるなんて今まで考えた事が無かった。
この世が綺麗事や良心では成り立たない、互いに相手を利用しあうだけの不条理で、
そして残酷かつ無情な物であることを身をもって体感しているからだ。
誰かを信じた所で繰り返し裏切られ、利用される。逆に誰かを利用すれば卑怯者だと言われ、非難される。
知能をもつ生き物の宿命か。社会を形成する生命体の必然的な現象か。私には分からない。
「私はどう生きればいい?」
私の質問に誰もがこう答えた。
「貴方自身で決めればいい。」
あぁそうだ。確かにそうだ。妥当すぎる100点満点の答えだろう。
けれど、なんて無責任で無機質な答えだろう。
私の脳裏には常にそんな言葉が浮かんだ。誰だって最後は自分が可愛いに決まってる。
口で否定していても、大抵は最終的に自己防衛に転じる。当たり前だ。
自分の命が惜しいなら誰もがそうするだろう。
けれど、時にそうでない者がいるから命というのは実に不思議だ。
自分の命が犠牲になるのが分かっていても、身を呈して他者を守ろうとするものが極稀にいる。
単に命知らずなだけだとか、綺麗事な話に過ぎないとか冷たい意見もあるかもしれない。
しかし、犠牲になるのを躊躇わなかった彼等はそもそも、その行為が当然なものと心の底から信じていただろう。
ならば、一体何が彼等をそうさせたのか。何かしらの理由や経緯があるはずだ。
大切な何かを守りたいから、彼等は行動するのだ。それ以外の理由が何処にある。
例え世間や後世でその事が忘れ去られても、彼等は誰よりも自分達の道を信じ…
愛する者を想い…“命”を懸命に生き抜いた。
きっと、これ程まで命を犠牲にして誰かを守るという行為が美化されている国は、他には無いだろう。
まるで春に咲き誇る桜の様に、彼等は切なく、そして美しい。
桜という木は彼等が望んだ穏やかで平和な日常の象徴だと私は思いたい。
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私は今こうして、来るはずも無い誰かに助けを求めている。
自分だけの力で解決したかったけれど…今回は私にも解決出来そうにもない。
きっと、あの影は私の頭に特定の周波数を部分的に響かせて、その周波数を言葉に変換している。
一体どういう技術を使ったら、そんな芸当が出来るんだろう。
けれども、仮にあの影が人間世界からの媒体なら…そういう事もやりかねない。
この世界にいた人間をわざわざ船舶や航空機に乗せて、あちらの世界に消し去るくらいだ。
私が想像する以上に、技術力が優れている世界…いや、世界じゃない…国でもない…組織…特定の組織だ。
全て一つの組織の掌で遊ばれているのなら、この世界は何て小さいのだろう。
私の仮説が正しければ、この情報部くらいの大きさで、この世界は作り出す事が可能なはず。
例え、それが事実だとしても認めたくないものだ。
この世界には、これ程までの命が一生懸命、毎日を生き続けているのに。
でも、その気になれば組織はすぐにでも、この世界を消せる。よくも、平然と消せるものだ。
全くもって人間が言う良心というのは分からない。季節の様に定義が人によってどんどん変わる。
人間工学という学問があるのは、自らを把握しきれていない人間達の皮肉なようなものだろうか。
いや、自らを把握出来ていないのは…この私自身だ。
私は誰かに助けを求めることも出来ない。
私の居場所なんて無いんだ。
あぁ…私はあと何回、
悩めば強く生きていけますか。
届かないと分かっていながらも…
それでも…
それでも…
誰かに助けて欲しいと私は信じるしかなかった。
姿も形も無い黒い影は子供をあやすように私に問い掛ける。
「君が知りたかった事だろう?もっと素直に喜びなよ。」
何もかもが混沌と化している私からすれば、その一言ですら暖かく感じられる程だった。
都合のよい気持ちで満たされたかっただけなのかもしれない。
このままでは、必ず私は影の正体を知ることになる。
特定周波数という原因が分かっていながら、何も行動できない。
行動を起こそうにも起こしたら影は即、口を開き自らの正体を言うだろう。
言われたら、もう戦争の行方は完全に分からなくなり、予測された未来は喪失する…
あぁ…もういっそ、このまま身を委ねて楽になった方が…いいのかもしれない。
御免なさい…セレン…
私、負けてしまうみたい。
もう未来が何も見えない…闇しか見えないの…
もっと警戒すべきだった…
一瞬の気の緩みが全ての崩壊に繋がるって…本当なんだね。
怖い…怖いよ…セレン。
数秒後にあなたを失いそうで…怖い。
あなたは…とても優しかった。
もっと側に居たかった。
あはは…どうして、こんな時に
こんな事を思っちゃうんだろ…
なんでだろう…ねぇ……
自然と涙が流れた。
「はい、ゲームオーバーです。お疲れ様でした。」
影が呟く。
終わる。
次の一言で、全てが終わる―――――――――――
パァン!!
一瞬の事だった。
直後の事だった。
銃声の様な音と共に、白く細い光の筋が目にも止まらぬ速さで、私の横を通り過ぎていった。
光の筋は影のある方に直撃した。影は一言も言う間も無く、光の筋に渦状に巻き込まれて消え去った。
「ぇ……なに……?」
私は何が起きたのか分からなかった。
ゆっくり後ろを振り返ると、見慣れたシルエットがそこにあった。
「終わらせる勇気があるなら、続きを選ぶ恐怖にも勝てるから。」
エスパーの使い手は、凛とした様子で、そう呟いた。