人類襲来まであと5日―――――――
もう一週間を切ってしまった。でもその時は、不思議な事にそんな自覚が無かった。
とてもこれから史上空前の戦いが始まるとは思えなかった。事態が進行しているのは確かだったが。
厳しい最終訓練を終え、自分達は最後の有休を迎えた。
有休と言っても訓練が無いだけであって、別に家に帰れるものでは無かった。
基地内で過ごす事に変わりは無い。だが、訓練の無い日は久しぶりだ。
「へい、セレンちゃんよぉ!今日はどう過ごすんだい?」
第3航空隊のT部隊の一員が声をかけてきた。
彼とは度々訓練で目にする程度だったが、なんやかんやで会話関係を形成してしまっている。
「いや今日は特に用事は無いけど。」
「そうか。ならちょっとの間、俺と付き合ってくれんか?話があるんだ。」
「付き合うってあっち系の事か?」
「んなわけねーだろ馬鹿、まぁちょっと来いや。」
「ふいふい。」
乗り気では無かったが、特に拒否する理由も無いので彼についていくことにした。
エントランスホールに差し掛かったところで彼が止まる。
「で、セレンちゃんはどう思ってんの?実際。」
「何が?」
「人間と戦うってどんな気分よ?」
「………」
俺は暫く黙った。改めて聞かれると返答に困る。俺は誰かの意見を代弁するような返答をした。
「正直、俺は人間と戦いたくなんてない。人間は俺達を育ててくれるし、強くもしてくれる。」
「確かに間違ってはいないな。でも、セレンちゃん自身は本当にそう思ってるのかい?」
「知らねーよ…勝手に向こうが始めやがったんだ。訳も分からず巻き込まれているだけに過ぎないかもな。」
「だろうな。俺たちは未だに、この戦いが何の意味を齎すのかを知らない。だが、向こう側はどうだい?」
「向こう側…?」
「人間世界の方さ。言葉は悪いが人間世界にとっちゃ、この戦いはおそらくゴミみたいなもんだろうよ。」
「何だよそれ…人間世界には、この戦いが無意味だって事か?」
「そういう意味じゃない。ある人間にとっちゃ好都合だろうな。いや好都合どころか、面白がってる位か。」
「奴らの目的って…」
「目的?そんなの一つだろ。このポケモンの世界を終わらすんだよ。」
「!!」
その言葉を聞いた瞬間、俺はかつてないほどの闇が迫っていることを悟った。
でも、その事を知る人間は人間界には極一部にしかいない事実。
どうやら俺はとんでもない事を知ってしまったらしい。
「ま、俺達が本気になる理由がこれでハッキリしたな。それを踏まえた上でもう一度聞きたいわけよ。」
「………」
「人間と戦うってどんな気分だ?」
「……………な……」
「ん?」
「もう一つの自分と戦う…みたいな感じだな…」
「はぃ?どういう事なんすか、セレンちゃん。」
「自分でも分からない…ゴメン…俺にはやっぱ答えられないみたいだ。」
「そんなもんだ。今の俺達には多分答えれない。もっと先になったら分かるだろうよ。」
「そうか…お前も同じなんだな…。」
「あぁ、分かんねぇ。お前と全く同じさ。まぁそういう事で、話は以上だ。付き合ってくれてあんがとよ。」
そう言うと彼は自分の前から去っていった。
「じゃぁまたな、再び会える事を祈ってるよ。」
背中越しで彼は答えた。
「今度は空で会うかもな、それじゃ。」
その言葉は、もう日数が無い事を比喩していた。
「さて、どうするか…あ、ミライにあれ返さないと…」
俺はかれこれ5日も返していなかったマフラーの存在に気付いた。
支給品とは言え、早く返さねば。急いで宿舎に戻り、マフラーを取り情報部へと向かった。
情報センターの中央制御室にはいつもの様に、ミライの姿があった。ミライも俺に気付いた様子だった。
「よっ!久しぶり!」
「何だセレンか…差し入れかと思った…」
「おいおい5日ぶりなのにその反応はねーだろ…」
相変わらずの反応。だが、初めて会った時に比べて格段にコミュニケーションは取れるようになっていた。
少なからずこれは確実に成長している証拠だ。やるじゃん、俺。
「この前はありがとな、これ。」
マフラーをミライに手渡した。
「これはあの時の…別に返さなくてもいいのに…」
「あれ?そうなの?なんだ、渡す時言ってくれりゃいいのにー。」
笑いながら答えた。
「でも、貰った恩は返さないと。それが礼儀ってもんだからね。」
「…礼儀…」
「いやまぁ、そこまで気にしなくてもいいよ。とりあえず、ありがとうって言いに来たんだ。」
「………」
「それだけと言えばそれだけになるという…何とあっけない!」
「……クスッ……」
「はは………… …!」
あれ?今笑った?
「ミライ…今……」
「……」
「いや…俺の聞き間違いか………」
「……セレン…………」
「え?」
「今更だけど……国立公園みたいな名前だな……」
「それはセレンゲティだろ…」
「…でも…ありがとう…」
「ミライ……」
「という夢でした…」
「……おいw」
「でも…もしそれが夢じゃないとしたら……?」
「え…」
「もしこの気持ちが本心だったら…どうする?」
「……」
ミライが真剣な目で俺の顔を見る。その眼差しは敵対視する眼差しでは無く、完全に純粋な眼差しだった。
「それは…」
「それは…?」
彼女の目に俺の顔がハッキリと映っている。その映った目はいつも以上に潤っている様に見えた。
そう、潤っている様に見えた…潤っている様に見え……
「泣いてるの…?」
「………………」
気付くと彼女の目から涙がこぼれていた。彼女はただ目の前で無言で泣いていた。
「………………………」
彼女を見て、俺は心が締め付けられるような感覚になった。気が付くと本能的にミライの手を握っていた。
「無理すんな…」
「………」
ミライにとっては衝撃的だったかもしれない。でも、気持ちは十分伝わっていた。十分過ぎるくらいに。
「お前って……ホント……馬鹿……」
「…ミライ…」
「こんな私に……どうしてそこまで構うの……」
「…分かんねーよ馬鹿だからさ…」
「………優しいな…お前は……」
その瞬間、ミライは今まで堪えていた何かが崩壊していくように目から大量の涙が流れだした。
そして俺に向かって静かに泣き崩れた。
「…セレン……死なないでよ………」
「……馬鹿言ってんじゃねーよ、死ぬ訳無いだろ」
「私は…お前が死ぬのを…見たくない…!」
「ミライ…」
「たまに夢を見るんだ…」
「夢?」
「これから起きる戦争の夢…」
「俺もたまに見る……」
「ただ、私が見る夢は少し違ってて…鮮やか過ぎるんだ…」
「鮮やか過ぎる?」
「私は小さい頃から何故か未来予知の能力があった…夢で見た事が現実でも高確率で起きてしまうの…」
「ってことは…」
「そう…セレンが現れる事も一瞬だったけど分かっていた…でも未来が分かって楽しい事なんて無かった…」
「………」
「エスパー系でも無い私が幾ら未来の事を話したって根拠なんて無い…知らない方が幸せだった…」
「…それでも知ってしまう自分を受け入れられなかった…そんな自分が周りに影響を及ぼすのが怖かった…」
彼女は俺の翼の中で泣きながらこくっと頷いた。彼女が泣いたところを見るのは初めてだった。
「私は誰にも死んでほしく無い……でも夢で幾つもの命が…!大量の命がどんどん消えていくんだ…!」
「ミライ…」
「私は…怖い……自分が見る夢が現実になるのが…悪夢が現実になるのが…」
「…だから周りとの関り合いを持てば持つ程、その反動が大きくなると考えた…だから周りとの関係を拒んだ。」
「…そう……」
「…そんな未来…変えてしまえばいい…」
「え…?」
「絶望だけが待っているんならそんなの希望に変えちまえばいい、一文字だけ変えりゃいいんだろ?」
「…無意味だよ…」
「無意味なんかじゃない!!」
「!」
「未来は一つじゃない。その場で変えてしまえば違う未来だ!そうだろ?」
「…未来は変えれるものだと思ってるの?」
「例え変えれるもので無くても…俺は変えれるものと思いたい。いや、変えてみせる。」
「…それが間違いだったとしても…?」
「あぁ、もう迷わない。そう決めた。」
「セレン…」
「偶然と必然だけの世界だ。悲しみなんて幾らでも生まれる。でも、逆に未来は幾らでも選べるんだ。」
「幾らでも…」
「操られるだけの存在だとしても…俺は最後まで一つの未来に縛られたりなんかしない!」
気付くと彼女の涙は止まっていた。そして全てを察した様に言葉を発した。
「…そんな答えを…待っていた……」
「え?」
「私はずっとそんな答えを…待っていたのかもしれないね…」
「……」
「私はここに来て本音なんて今まで誰にも言わなかった…誰も言えなかった…でも…セレン…」
「……」
「あなたなら…言ってもいい…ううん、言える……」
「ミライ…」
「セレンは…私を心の中で信じてくれた……苦しみも…辛さも…そして気持ちまで…信じてくれた…」
「ありがとう…ずっと言いたかった…この言葉……ありがとう…」
ミライが笑顔を見せた。その笑顔は同じミライとは思えないほど、素敵な笑顔だった。
初めて彼女は「心」を知った。そして、初めて「純粋さ」を知った。
彼女は俺の翼を握りながら、床へ跪いてお辞儀をした。今度は俺が驚いた。
「これは…?」
「私達の種族の感謝の意思表示…信じた者にしかしない…改めて言うね…ありがとう…」
「こちらこそ…ありがとな…」
自分達は完全にお互いに意思が通じたことを実感した。こんな気持ちになったのは俺も生まれて初めてだった。
今まで信じるという事に自分も僅かながらトラウマを持っていた。いや、正確には恐れを持っていたが正しいか。
でも、ミライと出会った時にふと「信じる」意味が何なのか本気で考えさせられた。
「信じる」という事は相手の心の真髄まで関ることなのだろうか?
それとも表面上だけの付き合いのみに限定されたことなのだろうか?
どちらも「信じる」事には変わりは無いが、程度の差は全く違う。じゃあ、どっちがよりよい「信じる」なのだろうか。
答えはどちらでも無い、が正しかったりするかもしれない。
何故なら、相手の心は相手からは絶対に読み取る事は出来ないからだ。
例え心理ゲームの如く、読みとれたように見えてもそれは結局、表面上の心理を読みとっただけの事。
真髄では全く逆の思いを持つ事が簡単に出来る。それが「信じる」事の怖さである。
だったら「信じる」という行為は無意味なのか。いや、それは違うはずだ。
信頼を得るために「信じる」のではなく、自分が信じたいから「信じる」。それだけの事じゃないのか。
別に信頼がどうのこうの深く言うつもりは無いが、少なくとも自分の意思によって動く事は確かだ。
「…セレン…そろそろ戻らないと…」
「そうだな…ありがとう。またな!」
「うん…」
何度も言うが、人類襲来まであと5日。しかし、この日が初めて 「本音」 が言えた日だった。
最後の有休が終わりに近づいてきている。時間が無くなっていく。
日常の崩壊を示すカウントダウンをしているかの様に時間が消えていく…
やっと彼女が見つけたこの「心」を嘲笑うかの如く。