現世。人間が種の頂点に位置する世界。
つまり、君たちゲームキャラクターを生み出した世界だ。いわゆる、君らが言う“あちら側の世界”という奴か。
この話を読んでいる読者にとっては、この世界こそが“現実世界”。今から書く話はそこでの話だ。
今、読者がこの話を読んでいるという事は、現実世界での私がまだ幼かった頃に読んでいるという事になる。
言わば、読者から見ればこの文章は未来の時代に書かれたものという事になる。
私がシークという存在になる前の話。
いや、正確にはシークという存在を生み出す前の話か。
そう、あれは確か一年前のことだった気がするが、今は記憶があやふやではっきり思い出すことができない。
酒の飲み過ぎで記憶が吹き飛んだのかもしれない、困ったなぁ、普段はそんなことは無いのに。
頭をかきしむしり、敷いた布団に寝転ぶ。布団を敷いた畳は茶色にくすんでおり、
体重を掛けるたびにミシミシと悲鳴を上げる。
ここは家賃3万のぼろアパートの二階、壁も床も薄い、隣の喧騒や下の階の話し声がリアルに聞こえるほどだ。
だから、お隣さんやアパートの住人に俺が何時ぐらいに帰ってきたかを聞けば万事OKなのだが、
情けないことに気軽にそんなことを聞けるほどご近所付き合いがよくない。
しかたないので、すっぽりと抜けた記憶を寝ぼけた頭で一生懸命思い出そうとするが、
思い出そうとするたびに頭の中をノイズが走る、その日の記憶だけふわふわと脳内から逃げていく。
いつもの二日酔いとは違う気がした、あまりに記憶の手がかりが少なすぎる、酒を飲んだ記憶すらない。
やっとの思いで思い出したとしても、掠れに掠れた残像や軽く香る程度の感触しか得ることができなかった。
夜道をぷらぷらと歩いているのと、知らない建物に入っていく自分の姿。
足取りはおぼつかない、完全に千鳥足だ。
得られた情報から鑑みるに、俺は無意識のうちに夜中を俳諧していたようだ。
それは、まるで夢を見ているようで、誰かに支配されているようで、他人事のようだった。
その意識を支配するのは心地のよい眠気とも言い表せるし、麻薬をしこたまぶち込まれたときの感覚と
いっても過言ではないし、酒や飯をたらふく食ったときに得られる満足感と同一であるとも言えた。
これはまずい、夢遊病という奴だろうか。
月明かりが照る真夜中に、いつの間にか体が無意識のうちに動いていて、
俺自身がそれをまったく覚えていないというのはいささか病的すぎやしないか。
ただ唯一の救いとすれば、人に迷惑を掛けなかったことだろう。
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目はぎらつく、足は煮え立つ、胸は焼けてしまうほどに熱く、体全体から蒸気が出てきそうだ。
それなのに、目の前がぼやける、頭に血が上りすぎて目まで血が入っていないのだろうか。
口はだらしなく開き、よだれが垂れ吐く息は白く、歩くたびに後ろになびく。
あたりは真っ黒で一寸先もわからない。
俺がどんな奴だったかもわからない。
俺が何をしているのかもわからない。
必死に思い出そうとするが、思い出し方も忘れてしまったらしい。
頭の中がかけらもかたまりもまとめて消し飛んでいた。もう、思い出すことが面倒くさい、面倒くさい。
こんな風にHighな気分のときは、何も考えずにいるのが一番だ。
頭がボーっとしている最中にも体はガチャガチャと動き出す。
地に足をたたきつけるように踏み出す、「ダン!」と高らかに鳴り響き寝静まった夜道をにぎやかに。
雄雄しく、規則正しく、礼儀悪く、踏み鳴らす。機械じみたその動きは、ロボットよりもロボットらしかった。
俺の体はあらかじめ組まれたプログラムにしたがって、正確に動き出す。
目の前にいる標的に向かって。
「やめろ!やめてくれ。自分はまだ死にたくない!お前だってそうだろう!?」
青いものが何か言っているようにも見えるが、俺には関係ないことだ。
俺はプログラムを忠実に守っているだけ。それは俺じゃなくて、ソフト本体に言ってくれ。
ハードは一挙一動すべてにおいて、プログラム通りに人を解体するだけ。
実に簡単だ。
「良心を持っている人間を平然と踏み躙って不条理の上に立つような醜くて愚かな人間は、早く消さないとね。」
プログラムに指定された台詞を呟いて、思いっきり得物を振り上げる。
耳の奥で男の断末魔が聞こえたような気がした。
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半年が経った。
肌寒い季節を終え、暖かい日差しがほどよく周りを活性化させている。
特に、道路脇に生えている木々が新芽を元気よく伸ばして、季節が春に移り変わったことを実感させた。
俺は会社の合弁会社との会議のため、大阪に出張していた。
朝一の中央新幹線に飛び乗り一路、西へと向かう。車内は何処を見渡してもビジネスマンの格好をした人。
中には新調したばかりのリクルートスーツを着てる若々しい一団も見受けられる。
約1時間といったところだろうか、日がすっかり昇った頃には大阪へと付いていた。
大阪の様子は随分と変わった。俺が餓鬼の頃には、梅田貨物基地っていう貨物列車を留置する施設が
大阪駅前に広大に横たわっていたんだっけ。今では再開発地区と称して様々な商業ビルが建っている。
ただ、駅前を足早に行きかう人々が多いのは今も昔も変わっていない。
歩いていると昔、修学旅行で大阪を訪れた時の色々な思い出がよみがえる。
俺は合弁会社が入る商業ビルへと入り、予定通り、会議が行われる会議室へと向かった。
会議内容は毎年恒例のような内容で実にありきたりだった。
でも一応、未公開の新作品の話も盛り込まれてあったからそれなりに参加した意義はあったのかもしれない。
もしダイレクトで情報公開したら、大抵のユーザーはホイホイするのかもしれないがそこは抑えておこう。
昼過ぎに会議は終わった。昼食をはさんだ後、今度は開発部の人と新作品の概要設定の確認と
打ち合わせをした。一応、俺も会社で商品開発に携わる人間だったので、その手の話は得意だった。
商品開発の根源を成すプログラム分野に俺は携わっていたので、こういう技術相談にはよく抜擢される。
ただ、その代わり多忙かつ重圧を背負わされる事もしばしばあった。正直、たまに投げ出したくなる事もある。
息抜きにいわゆる「改造してみた」系の動画を見て、「おーコイツすげーなー」と言ってみたり、
自作ゲーム制作Wikiを更新するたびに、ユーザーからは評価されても会社じゃ何一つ変わりゃしない。
何も変わらずに、ただ同じ作業を繰り返していく日々。
上からも下からも責任を押し付けられ、重圧だけが次々と圧し掛かっていく。
鬱になる手前って、きっとこんな感じなんだろうな。しかし世間じゃ、鬱は甘えとして扱われるそうだ。
いやはや、不条理かつ鬼畜極まりないな。ホント、この世界は。
夕方になり、本社から課せられたノルマが終わった。俺は合弁会社が入る階を後にする。
息抜きに商業ビル一階の自販機で缶コーヒーを買い、一階のフリースペースで缶コーヒーを飲みながら
すると、視線を上げてふと目の前を見ると商業ビルには似合わない、カジュアルな格好をしたスレンダーな
一人の女子高生がいた。彼女の手元には自分の会社が発売しているゲーム機を持っていた。
表情一つ変えずに、黙々と何かしらのゲームを進めているようだった。
“ここで働く人の娘さんか何かだろうか。親と待ち合わせでもしてるのかな?”
などと、いつもの様に妄想を膨らませていると彼女がゆっくりとこちらを見た。思わず視線を逸らす。
頼む。一人の女子高生をジロジロと見るただの変態な30歳の独身男性として扱うのだけは勘弁してくれ。
彼女はしばらく俺の方を見つめ続けていた。俺は何事も無かったかのように端末の操作に没頭する。
すると、彼女は小さく「クスッ」と笑い、視線をゲーム機の方に戻しながら俺に話しかけるように言った。
「あなたも同じなんですね。」